日出づる国のはる

日本が好き。 日本が好きな日本人が好き。 日本が好きな政治家が好き。 これらの前提で世界が好きな人が好きです。

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私はおじいちゃんっ子だ。

すんごい厳しいときもあるし、すんごい優しいときもあった。

人様に迷惑をかけたときは、思いっきり叱られた。
行儀が悪いと箸でぴしっとやられた。

私が中学入試で祖父の長男と同じ学校に行くことに
きまったときには、人目もはばからずに涙を流した。

「この店で一番高い学生かばんをください」

値札も見ずにそういった祖父の表情はとても晴れやかで、
80歳にもかかわらずきびきびと走ることもできる人だった。

そんな祖父が大好きだった。

祖母も好きだった。
祖母は口うるさいので私以外の孫は結構文句を言っていた。

でも、祖父母の家に行くとかならず、大量の料理を作って待っていた。
とんでもない量の料理を平らげて死にそうになってると、

「足りた?これもあるから、食べて」

とカレーライスがやってきた。
ひーひーいいながらそれでも食べた。

すると押し寿司が出てくる。
はきそうになりながら食べた。

食べないと、

「あれ?体調でも悪いの?だめだよ、食べないと」

という。
戦時の苦しさを知ってるから、食べることこそ大事だと思っている。
だから、私は今でも大食漢だ。

祖母は自分の寿命をなんとなく知ってたのか、と後になって思う出来事があった。

亡くなる前年、自分の子供、孫の一族全員をかんぽの宿に招待した。

一人だけ離婚した息子がいるのだが、その嫁もちゃんと招待した。
(結果的にはこなかったのだが)

それまでに当然いろんなことがあった。
でも、それを一切水に流して、かつ全員に自分の財産を分配し、

「これで、思い残すことはない」

と50人以上いる自分の子供や孫、ひ孫たちの前で笑顔になった。
そこでは私は平静を保っていたが、トイレに立つときに涙した。

その笑顔は神々しすぎた。
その祖母の死に目には遭えなかった。

前も少し書いた記憶があるが、私は3年近いシステム開発のプロジェクトで
疲れ切っていて、やっとまとまった休みが取れたので先輩たちと
ニューヨークへ旅行に行くことになっていた。

その二日前に祖母が亡くなったと連絡がきた。

みんなは

「もうどちらにしても手遅れだから、旅行に行っておいで」
「旅行代金も安くないんだし、せっかくの機会なんだからいっておいで」

と口々に言った。

でも、その一報を受け取った限りはまったく行く気になれなかったし、
あの口うるさい祖母がこんなタイミングでなくなった、ということが
私の中で大きな意味があることだと感じた。

実際、先輩たちに後で聞いたところ、現地ではホテルのボヤ騒ぎがあり、
夜中にみんな外に放り出されたとのこと。

盗難にも遭った、ということで、もしかしたら私があのとき旅行に行ってたら、
なにかトラブルに巻き込まれていたのかもしれない、と思うこともあった。

自分でいうのもなんだが、祖父は必ず私の近くに今いると思っている。
そして祖母もきっとその横にいると思っている。

そんな祖父母の家は、祖母がなくなってから半年後に解体された。
隣の人が買い取ってくれて、今では隣の家が改築されている。

何もなくなった。
あの頃の風景は写真と記憶からしか辿ることができない。

でも。

幼い頃に育ったあの祖父母の実家の場所は、私の中では今でも
一番の故郷であり、祖父母の眠るお寺も私にとっては大切な場所である。

数日前、こんなニュースが流れた。

◇「原発周辺20年住めない」 首相発言として伝わり波紋 全村避難の村長「これが政治家の言葉なのか…」と涙
2011.4.13 20:52
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110413/fks11041321410021-n1.htm

「10~20年は住めない」-。菅直人首相の発言とされた言葉を聞き、住民説明会で怒りの涙を見せる福島県飯舘村の菅野典雄村長=13日、同村長泥(大山文兄撮影)
 「10年住めないのか、20年住めないのか…」

---

私は、菅が言ったかどうかなんて知らないしどうでもいい。

ただし、

心無い誰かが発したこと

が確かであることに憤りを感じている。

それがどんな意味を持っているのか。
はっきりいって、今の若い世代で、残念ながら親や祖父母から
しっかりと大事なことを受け継がれてもらえなかった人には
その気持ちはあまりわからないだろうと思う。

私は、自分の故郷には付喪神(つくもがみ)が宿っていると思う。
それは私にとっての付喪神であり、他人のそれではない。

それは遠く離れた場所で生活している人一人ひとりが持っているはずだ。

「東京は便利だからね」
「地方は不便で不便で」
「でも、東京は空気も悪いし、人が多くてうざい」
「地方でのんびり、自然に親しむのがいいじゃない」

いろんな意見があると思う。
しかし、そのひとつひとつの意見の先にも、その場所が故郷で
ある人もいるのだ。

「福島は原発のせいで20年住めない」

これは、状況としては事実かもしれない。
そしてそれをつい、うっかりと発言してしまったのかもしれない。

しかし、私はそのうっかりに断固抗議する。
真の日本人であれば絶対に言えない言葉だと思っている。

「しょうがないじゃない、事実だもん」

確かにそういう声もあるし、そう思う人がいることを否定はしない。

ただ、仮に自分が生まれ育ってきた土地に対して
このような発言をされたときに、果たして自分は冷静で
いられるか、涙を流さないでいられるかといわれれば自信はない。

それこそ、大東亜戦争が終わるまでに国外で亡くなり、
あるいは国外で祖国の地を踏むことができず力尽きた
日本兵の無念さはいかばかりかと思っている。

仮に国外でとても良い生活を与えられたとしても、
きっと日本兵は祖国で苦しい生活でもいいから
なんとかかえりたい、と思ったことであろう。

故郷とはそういうものである。
そんなときに飛び込んだのがこのニュース。

◇計画的避難区域の飯館村、102歳の男性が自殺=報道
2011年 04月 14日 15:42 JST
http://jp.reuters.com/article/jp_quake/idJPJAPAN-20619420110414

みんながどう思ったかは人それぞれだろう。
私は本当にこのニュースを読んで、悲しかった。
しかし、同時にこの男性の潔さに心から敬服した。

世の中には本音と建前がある。
あるいはどちらが正しい振舞いかわからないときがある。

ある動画で津波が襲い掛かる車椅子の人を助けようとして流される人を見た。
その人は安全なところから駆け下りて助けようとした。

動画のコメントで「あれはない」「にげるべき」といったコメントもある。
そう、単純に助けるだけが美徳ではない、そんな割り切りが必要なときがある。

しかし、私はその命を省みない行動に敬意を払う。
そこには駆け引きのない、本当の「日本人の心」があると思っている。
学生を助けようとして線路に入って一緒に亡くなった人も過去にいる。
その行動を称えはしても、絶対に中傷などする気もない。

思うに、そういった美徳とされることをあまりにも合理的な視点で
「無駄だ」「意味がない」と切り捨てる人が今とても多いと感じている。

祖父が生きていたら107歳で、祖母が生きていたら、いま101歳である。
たぶん、祖父母とも、原発の近くにもしいたとしても「わしは残る」と宣言したはずである。

そして、かたくなに避難要求も拒んだであろう。
きっとそうだったと思っている。

たぶん、、、この102歳の男性にとっては、自分の慣れ親しんだ土地を離れる
ことはきっと命を捨てるよりもつらかったんだとおもう。
だから、死を選んだ。
私はそう感じている。

単純に生きることがすべてにおいて優先されるものではない。
そんな気概を感じる出来事で、本当に心をかきむしられるような思いがした。

そして、どうして敬服したかといえば、その潔さもさることながら、
これはあくまでも私の想像だが、、、

「故郷で生を全うしたい」

という思いと同時に、

「このまま残っていると、自分がいることで他の人の迷惑になる」

とも考えたんだと思う。

こうした避難関連地域に入り、外に出るように説得しに行く人たちがいる。
その人たちはもともと被災地とは関係ないところから多数派遣されるはずだ。
危険を顧みずにその任務を果たそうと頑張っているのである。

日本人は他人に迷惑をかけることを嫌う、私はそうおもっている。
だからこそ、きっと自らの命を絶った。

もし祖父母が残るといえば、私はしばらくは説得すると思うが、
たぶん、途中でやめると思う。

そしてきっと

「残ったことで健康被害があったとしても一切誰にも責任を問いません」

という念書を書いて静かに暮らしていくのではないかと思った。

昔の日本人とはそういうものなんだと思っている。

---

みんな危険だから逃げろ、という。
危険なのはわかっている。
しかし、30kmだ50kmだと、日本地図に円を引き、その外だと安全、
中だと危険、という行為に対しては私はまったく心が動かない。

「そういう人々を住まわせるようなエコタウンを考えなくてはいけない」

この言葉に別に抵抗感はない。

政府としてこのような取り組みを考えることは大事だと思うし、
実際に日本に住む人々の生命を預かる身として必要なことだと思う。

しかし、私自身はどうしても納得ができない。

現地から実際に避難してる人が

「もうおじいさんも逃げたほうがいいよ。だめだよそこにいちゃ」

というのならわかる。
それは自分自身が故郷を離れるという苦渋の決断をした経験があるからである。

でも、私もそうだが、今回の地震で直接的な影響がなかった人が、

「はやく逃げろ。新しい土地でまた生きていけばいい」

と軽々しく言い切ることはできないと思っている。
そう、命よりも大切なものがあると思っているからだ。

日本には切腹、という慣習がある。
外国人なんぞには到底理解できないことだ。

特攻もある意味狂気に近いことだと思っている。
もちろん、「命を簡単に捨てるな」と言うことにも反論はない。
「生きてるからこそ」というのはもちろんそうだ。

でも、私たちは「私」ということだけで生きているわけではない。
私たちは「公」の中で生きているのである。

公とは、他人とか世界の人みんなだけではなく、身内も含む「公」だ。

「自分の所領の民の安堵のため」

腹を切った。

「自分の身内の身の安全を守るため」

腹をきった。

「父よ、母よ、妻よ、息子よ、娘よ」

と言って特攻した。

「天皇陛下万歳」

と言って特攻した。

すべては自己犠牲において何かを護ろうとしたのだと思っている。

どうして日本人が切腹するか。
日本はご存知のとおり、狭い国だ。
逃げる場所もろくにないのもある。

一方シナでは広大な土地がある。
何かあっても遠くで静養して、じっくり再起すればよい。
だから、シナでは簡単に城を投げ出すし、他人を裏切ることも平気だ。
何しろ君主の命が大事だからだ。
それはシナの文化であり、それを否定するつもりはない。

しかしここは日本だ。
日本は違う。
所領を失うことは死にも値する。
日本人はそういうものだ、と私は思っている。

だから、外野が1000万人、口を揃えて言ったって、聞かないものは聞かない。
ただ身内が一言「もう逃げましょう」といえば逃げるかもしれない。
それでも逃げないかもしれない。

そんなことをこの男性のニュースを聞いて感じた。

われわれは日本人である、と。

---

それが私たち日本人なんだよ。
どんな状況にあっても、自分だけのことを考えて生きていないんだよ。

みんな他人のことを心配している。
いくら遠方の人だって、被災地のことも本当に心配してるんだ。
日本人じゃなくて、外国人だって本当に心配している。
そのことをよく考えてみてくれないか。

いらいらする気持ちもわかる。
うまくいかないで悩む気持ちもわかる。
みんなが自分のイメージどおり動かないのであせるのもわかる。

でも、お願いだから、大事なものを無くさないでくれ。
どんな立場であれ、状況であれ、私たちは一緒にがんばってきたんじゃないのか?

自分が苦しいなら、人も苦しいんだ。
そんなときこそ、相手のことをしっかりと考えるべきだろう。

頭ごなしに人をしかも、味方を批判するようなときじゃない。
今こそ、われわれ日本人の本当の底力を出すときではないのか。

私はみなさんを見守っていますから。

これからの日本が、これまでの日本人のすばらしい
伝統と文化と人柄を 踏襲して、よりよくなっていくように。

ずっとかわらず祈っています。
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