日出づる国のはる

日本が好き。 日本が好きな日本人が好き。 日本が好きな政治家が好き。 これらの前提で世界が好きな人が好きです。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

コメント

大変良い話で感動致しました。

私のおじいちゃんは
胸に弾丸が入っていると話していて
ビクビクしていた幼少の自分を叱りたいですっ

2010.09.24  あまの  編集

素敵なお話です

 お祖父様の、人間性が伝わりますね。
 そして、こういう日本人としての根の部分の継承が、多くの家庭で普通に行われていくべきだと思います。
 私も16条旭日旗と日章旗は右翼団体のものだと思っていた時期が長かったので、海軍にいた父があまり戦争を語らなかったように思います。
 今は普通に語ってくれますが、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

2010.09.24  tono  編集

はるさん こんにちは
ご祖父さんが溶接の仕事で大和の造船にかかわったお話。おそらくかなりの腕前であったと思います。戦後、日本が造った大型タンカー出光丸(当時世界一)を造船するとき、溶接がうまくいかない、という問題があったそうです。その時、それを解決したのが大和で使われた溶接技術でした。確かレールのようなものを設置してそれにそって溶接する、というものだったと記憶しています。
私は大和に関係した人では大東亜戦争当時、偵察機に搭乗し、通信兵だった方と何度かお会いしたことがあります。
大和の通信室に入ったことがある、とおっしゃっていました。

「耐学者必勝」
素晴らしい言葉だと思います。今日本は試練の時、草の根の私たちのブログからの発信ですがきっとそれが実る時がくると私は信じています。

2010.09.24  Hayabusa  編集

あまのさん

ありがとうございます。
てか、おじいちゃんすごいっすなーw

おじいちゃん、おばあちゃんは本当に偉大だと思うのです^^

2010.09.24  はる  編集

tonoさん

ありがとうございます。
境遇が似てますね、、、確かにとても無口だったと思います。あまり思い出したくないのか、知られたくないのか、私たちに気を使っていたのか。いずれにしても気づいてよかった、そう思っています。

2010.09.24  はる  編集

Hayabusaさん

タンカーのお話、、、興味深いです。ありがとうございます。マラリアで戦後は結構苦労したみたいですが、このようなお話を聞くと、祖父のことを本当に誇らしく思いますね。うれしいです。そうですね、私たちもがんばらないとですね。

2010.09.24  はる  編集

はるさん、ここではこんにちは。
あの大和を作っていたなんてすごいですね!私の故おじいちゃんは第2次上海事変に出兵してます。そのときの上海に行く前の記念写真もあります。
おじいちゃんは上海で胃潰瘍になってしまい、しばらく向こうの病院で療養してましたが、帰国しました。おじいちゃんは「勝ち戦だった」と誇らしげにいってたそうです。母にきいたら。
母親は「いやだな、戦争は」と思ったそうですが。あまり私にはそんな話はしませんでした。まだ子供だったし。
10才の頃に胃癌で亡くなりました。
ちょうど、南京大虐殺の教育される前です。きっと私に悪くいわれたくなかったから死んだのかな、と思うほどです。その祖父の弟はガタルカナル島で戦死してます。餓死で壮絶だったようです。なので英霊がいるので、遺影に敬礼したくなりますね。実家に帰ると。

2010.09.25  如月 薫  編集

コメントを投稿


管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック

TB*URL

【2010/7/6に他SNSに記載した記事です】

私の祖父は躾に厳しいほうだったと思います。

行儀悪くご飯を食べてると箸でぴしっとやられたり、子供同士で大騒ぎしていると叱られたりしたものです。

しかしその反面で、私が小学校に入学する際には、
「このお店で一番良いランドセルを」

中学受験に成功して入学する際には、
「このお店で一番良い学生かばんを」

といった感じで猫可愛がりされてもいました。

相撲や野球が大好きで、欠かさずみてました。
その中継を見ながら話すことが戦争のことだったり、軍人さんのことだったり、ことわざの話だったり、天皇陛下のお話だったりしました。
(そういった話の内容をしっかりと覚えていないのが悲しいのですが)

そんなときに、ふと言ってたのが、題名の口癖でした。

「おじいちゃんは呉の海軍工廠で戦艦大和を作ったんだぞ!」

呉に住んでいた祖父の家族は養蚕を扱う商人で、かなり裕福だったと聞いています。
しかし、呉の大空襲ですべて焼け野原に。
家財はすべて焼失し、痛恨なのは土地を持っていなかったことです。

そこから祖父母は母を含む6人の兄弟全員を大学に進学させ(当時にしては珍しい)、無一文からなんとか今の生活を築いたんです。

当時小さかった私は、

「大和?宇宙戦艦?」

程度の知識(笑)で、それがどういったことかもわからなかったんです。

当時、ステンレスのぴかぴかのお風呂になったときも

「銀のお風呂だぞ!」

というような祖父でしたし・・・(笑
(すっかり騙されてた私もいるのですがw)

また終戦後は仕事も就かず、パチンコ行ったりしてぶらぶらしてた、という話を聞いてたので、尊敬するところもありましたが、ま、そういうちゃらんぽらんなところもあるのかなぁ、くらいに思ってました。

祖父は亡くなってからかなり経つのですが、日本を知り、戦艦大和の歴史を読んだとき、あれ?そういえば、じいちゃん大和作ったとか言ってたな、と思い、母に聞いてみたんです。

すると、こういう話でした。
(あくまでも母の話ですので、どこまで信憑性があるのかはわからないのですが)

「祖父は板金・溶接工としての腕を買われていて、当時多くの大手企業からアプローチもあったのだが父親が許さず、不本意ながら地元で就職した」

「ところが、戦争が激しくなってきた際に、呉の海軍工廠に配属になり、戦艦大和の装甲の板金・溶接を担当していた」

ということは、作ったんだぞ、というのはある意味ほんとなんだな、と。

これはこれで驚いたわけです。
あの戦艦に祖父が関わっていたと思うと。

そして終戦後にマラリアにかかって、しばらくは仕事ができなかったそうです。
そういえば、小さなころ、ラバウルの映像をスライド映写機で見たことがあります。
ただ、造船に携わっていたこと、ラバウルの軍隊の構成を考えると、祖父が遠征していたことはないと思います。(これは母に聞き損ねたので聞いてみます)

※後日、ラバウルに陸軍兵士として遠征していたことがわかりました(2010/9/24)

お正月になると、毎年親戚一同が祖父母の家に集まり、3が日を過ごしました。
お節にお雑煮、お刺身、お寿司、お酒。
のべ50人以上の親族、数百人の新年の挨拶客が来て、それはにぎやかでした。
そして平和であること、戦時中はイモどころかイモの根っこをかじって頑張ってきてたのに、今ではこうして美味しいものが食べられることへの感謝をいつも話していた記憶があります。

「日本は偉かったんだぞ。強かったんだぞ。」

と誇らしげに言ってた祖父の言葉をちゃんと受け入れていなかったのは私の過ちであり、学校教育に流されて、旭日旗がなんとなく悪いものに見えてたり、日本は他国へ侵略した償いをしなければいけない、南京大虐殺を忘れてはいけない、といった反省と負い目ばかりを感じていた気がします。

もちろん、100%すべてに正当性があるとは思ってないです。
人間だから過ちの部分もないとは言えません。

でも、日本が何のために戦い、何のために散っていったのか、その真実を自分の中でしっかりと見極め、卑屈にならず、正々堂々と「日本人として日本という国に恥じることがない生き方」をしていきたいと思っています。

「耐学者必勝」

という言葉を祖父は色紙に書いて、私にくれました。
まさに耐えて学ぶ者は必ず勝つ、私はそう思っています。

今の日本も耐えている時期なのかもしれません。
でも今から心ある人たちみんなでがんばっていけば、きっと勝利(日本が本当に良い国になること)を勝ち取れるものと信じています。

改めて、祖父に感謝すると共に、皆様がいることに感謝します。

長文失礼いたしました。
スポンサーサイト

コメント

大変良い話で感動致しました。

私のおじいちゃんは
胸に弾丸が入っていると話していて
ビクビクしていた幼少の自分を叱りたいですっ

2010.09.24  あまの  編集

素敵なお話です

 お祖父様の、人間性が伝わりますね。
 そして、こういう日本人としての根の部分の継承が、多くの家庭で普通に行われていくべきだと思います。
 私も16条旭日旗と日章旗は右翼団体のものだと思っていた時期が長かったので、海軍にいた父があまり戦争を語らなかったように思います。
 今は普通に語ってくれますが、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

2010.09.24  tono  編集

はるさん こんにちは
ご祖父さんが溶接の仕事で大和の造船にかかわったお話。おそらくかなりの腕前であったと思います。戦後、日本が造った大型タンカー出光丸(当時世界一)を造船するとき、溶接がうまくいかない、という問題があったそうです。その時、それを解決したのが大和で使われた溶接技術でした。確かレールのようなものを設置してそれにそって溶接する、というものだったと記憶しています。
私は大和に関係した人では大東亜戦争当時、偵察機に搭乗し、通信兵だった方と何度かお会いしたことがあります。
大和の通信室に入ったことがある、とおっしゃっていました。

「耐学者必勝」
素晴らしい言葉だと思います。今日本は試練の時、草の根の私たちのブログからの発信ですがきっとそれが実る時がくると私は信じています。

2010.09.24  Hayabusa  編集

あまのさん

ありがとうございます。
てか、おじいちゃんすごいっすなーw

おじいちゃん、おばあちゃんは本当に偉大だと思うのです^^

2010.09.24  はる  編集

tonoさん

ありがとうございます。
境遇が似てますね、、、確かにとても無口だったと思います。あまり思い出したくないのか、知られたくないのか、私たちに気を使っていたのか。いずれにしても気づいてよかった、そう思っています。

2010.09.24  はる  編集

Hayabusaさん

タンカーのお話、、、興味深いです。ありがとうございます。マラリアで戦後は結構苦労したみたいですが、このようなお話を聞くと、祖父のことを本当に誇らしく思いますね。うれしいです。そうですね、私たちもがんばらないとですね。

2010.09.24  はる  編集

はるさん、ここではこんにちは。
あの大和を作っていたなんてすごいですね!私の故おじいちゃんは第2次上海事変に出兵してます。そのときの上海に行く前の記念写真もあります。
おじいちゃんは上海で胃潰瘍になってしまい、しばらく向こうの病院で療養してましたが、帰国しました。おじいちゃんは「勝ち戦だった」と誇らしげにいってたそうです。母にきいたら。
母親は「いやだな、戦争は」と思ったそうですが。あまり私にはそんな話はしませんでした。まだ子供だったし。
10才の頃に胃癌で亡くなりました。
ちょうど、南京大虐殺の教育される前です。きっと私に悪くいわれたくなかったから死んだのかな、と思うほどです。その祖父の弟はガタルカナル島で戦死してます。餓死で壮絶だったようです。なので英霊がいるので、遺影に敬礼したくなりますね。実家に帰ると。

2010.09.25  如月 薫  編集

コメントを投稿


管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック

TB*URL

プロフィール

springtreetop

Author:springtreetop
はるです。よろしくおねがいします!(紹介文工事中)

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

フリーエリア

日本に誇りを持つ1000人ブログ 気づいたらmy日本 FC2 Blog Ranking

フリーエリア

---

    follow me on Twitter

    ---

    Copyright ©日出づる国のはる. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha.

    FC2Ad

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。